男三人兄弟の末っ子。「女の子ひとりくらい欲しかったんじゃないの?」 ってよく言われました。私はちっともそんな事感じていなくて男の子女の子じゃなくて三人も自分の子供を授かった事だけで充分嬉しかったのです。祥は赤ちゃんのころからよく熱を出したり喘息が起きたりで丈夫な子とは言えませんでした。
脳炎を起こす
歩き始め言葉も増えてきて、いたずら大好きであまえんぼの祥。雨の降る日。次男と祥は熱を出しました。熱を出すことがわりと多かった祥ですがこの日はなんか様子が違うのです。やけにぐずっていました。祥をおんぶして次男をを連れて小児科へ。診察を終えて会計を待っている間次男をトイレに連れて行きました。そしてトイレのドアが閉まる音と同時に背中におんぶしていた祥が痙攣を起こしたのです。あわてて診察室へ駆け込みました。処置をして頂き医師から「右足に麻痺があるようですので大きな病院へ移します」と言われました。そして救急車で移送してもらいました。祥が病院のベットで目を閉じたまま何日過ぎたでしょうか。その間いろいろな検査をしました。そしてまた痙攣がはじまったのです。何度も何度も繰り返し起きる痙攣。大学病院に転院です。夜中静かで暗い街をゆっくりゆっくり救急車は走り祥を大事に運んでくれました。大学病院に着くやいなやいろいろな検査、処置が一晩中行われました。夜がしらじらと明け始めうす明るくなったナ−スステ−ションで医師から「覚悟をしておいてください」と言われたのを鮮明に覚えています。私の頭のなかは真っ白でした。涙もでませんでした。
夜が明けて
明るくなった病室の酸素テントのなかで横になっている祥。もちろん目はつぶったまま体にはいろいろな器具がついていて。でも生きているみたいでそっと手を握ったのを覚えています。何日が過ぎたのでしょうか。動きもせず目も開けず。ある朝看護士さんが「笑いますよね」って言ったのです。?と思い祥の顔を覗くとニコッて笑ったんです。嬉しいよりびっくりしました。また私たちの元へ戻ってきてくれたのです。この子はなんてラッキ−ボ−イなんでしょう。
訓練の始まりです。
今まで話していた言葉はなくなりました。一人で座ることもできなくなっていました。昼間の時間に機能訓練が始まり食事も普通に食べられるようになりある日外泊の許可がおりました。でも家に連れて帰っても大丈夫なのか心配でした。そしてこれからのことも・・・それは「普通のお子さんのようには発達するのは難しいです。」と医師に言われ、あの時助けて頂いて生きているけれどこの子のこれからはどうなっちゃうの?私は不安でいっぱいでした。
幼児指導との出会い
退院して機能訓練に通いました。歩けるようになる事を願って。転びやすかったものの一人で歩けるようにもなり、2歳の春から幼児指導に通所を始めました。お友達もできたけど体調を崩しやすく休みがちでした。「うちの子は体は丈夫で」なんて言葉を聞くと「それが一番なんじゃない!」ってよく思ったものです。2年間通いました。2年目に母子分離のクラスになったときは心配で子供たちがいるクラスのガラス窓からよく覗いたものです。
保育園に通わせたい!
障害児枠の保育園への入園ってとっても難関なんです。身を持って知りました。でもどうにか入園が決まりました。橋をふたつ越え自転車で約30分近くかかる園なのでペ−パ−ドライバ−だった私は懸命に運転を練習しましたよ。
2年間の保育園生活。これはとってもすばらしい経験となりました。先生方はきっと大変だったことと思いますよ。だってトイレの自立もできていなかったら。でも紙パンツを使わずにってほんとによくやってくださいました。頭がさがります。感謝感謝。遊びも給食も昼寝も遠足も発表会もみんなと一緒に参加させてくださいました。祥は周りの方にもめぐまれてほんとにラッキ−ボ−イです。
養護学校と学童保育
体験入学をして養護学校は祥には合っていると感じました。でもひとつだけ母の思いに引っ掛かるところ、それは健常児と一緒に過ごさせたいという思いから保育園に通わせたのにという点でした。お友達と関わることが大好きで発語のない祥への刺激は多大なものがあったからです。ならば地域の学童保育へ行かせたいと思いこれまた入るのが難関と言われている学童保育の門をたたきました。理解してくださる方いるんですよ。だけど理解してもらえない方もいるんですよね。でもやってみなけりゃわからないでしょ!誰かがやらないとはじまらないじゃない!ここで引き下がっては障害児の母がスタルとばかりに、どうにか入室できるようにとふんばりました。(学童保育の先生にも激励されたからふんばれたんです。)まあどうにか学童に入ることができました。トイレの自立ができていない祥のためにトイレの改造までして祥を迎えてくれました。ほんとに感謝感謝です。今でも住区まつりには遊びにいっています。みなさん声をかけてくださってありがとう。
:今の祥
養護学校中学1年生 いまだ集中して着替えるのが苦手のようで学校の先生の手をわずらわせているようです。食べ物の好き嫌いはない。美食家ではないともいえる。ト-ストの上にチョコクリ−ムぬってその上に野菜炒めをのせて食べたり・・・きっと味がよくわかっていないんだろうなぁ。中学になってから学校で習っている英語に非常に興味があるようで朝「グットモ−ニング!」なんて挨拶するとすこぶる機嫌いいのであ-る。いろんな人と関わろうという考えで放課後クラブに参加、各種イベントにもチョコチョコ顔を出すようにしています。祥を見かけたらぜひぜひ声をかけてくださいね


・・・とまぁこんな感じで12年いろんな人を巻き込んで彼は彼の人生を歩んできたわけです。
ほんとにいろいろありました。山あり谷あり。
これからも嬉しいこと困ったこと楽しいことびっくりすること、きっときっといろんなことがあるでしょう。
いろんな方に手を貸していただきながら、なかなかいい人生だったなぁって
最後に言えたらいいな。祥も私も周りの人も・・・
                  
          「 共に生きる 」 大切にしていきます。
                                     
       

              
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